11月とりの日に、大鳥神社で行われる酉の市に行ってきました。
令和7年の日程
目黒大鳥神社公式HPより引用
一の酉 11月12日(水) 8:00~22:00
・社殿で太々神楽、熊手の舞が奉納されます。(19:00~)
二の酉 11月24日(月・祝) 8:00~22:00
・江戸消防記念会の木遣りが奉納されます。 (10:10頃)
・社殿で太々神楽、熊手の舞が奉納されます。(19:00~)
本年は、二の酉まででございます。
目黒大鳥神社は、東京都目黒区に鎮座する古い歴史を持つ神社であり、毎年11月のとりの日に「酉の市」が開催されます。この祭りは、商売繁盛や家内安全を祈願するために、神社の境内にはたくさんの熊手が並びます。
酉の市の最大の魅力は、その賑やかな雰囲気と伝統的な出店です。熊手はもちろんのこと様々な縁起物を購入することができ、屋台も出ているのでお祭り気分を楽しむことができますよ。また、神社の境内では、伝統的な舞や神楽が行われ、訪れる人々を楽しませてくれます。
目黒大鳥神社の酉の市は、地元の人々だけでなく観光客も多く訪れます。歴史ある神社と共に、酉の市の楽しさを味わいにぜひ訪れてみてください。




御本殿の屋根からどんな神様が奉られているか分かるってご存知でしたか?
- 正面から見て手前に屋根が流れているように見えるのが、「天津神様」
- 正面からみて山の字型に中心が盛り上がっているのが「国津神様」
- 千木の先端が水平に削られているものは「女の神様」
- 千木の先端が垂直に削られているものが「男の神様」
神社の屋根|日本の建築技術と伝統が凝縮された美しすぎる6つの種類より
目黒大鳥神社の御本殿は正面から見て山型、千木の先端が垂直なので「男の国津神様」です。
千木というのは屋根からV字に出ている棒のことです。お社の作りで千木がない御本殿も多くありますね。
知識の蓄積で世界が広がるのって最高です。
これからも勉強を進めて世界をどんどん楽しんでいきたいです。

大鳥神社の御由緒を僭越ながら文字起こしさせていただきます。
大鳥神社御由緒
御祭神 主祭神 日本武尊 景行天皇の皇子で、熊祖討伐、東国の蝦夷を平定。
相殿神 国常立尊 日本の国開きの神様
弟橘媛命 日本武尊の妃御由緒 例祭 九月九日に近い日曜日
景行天皇の御代(71〜130)当所に国常立尊を祀った社がありました。景行天皇の皇子である日本武尊は、天皇の命令で熊襲を討ち、その後、東国の蝦夷を平定しました。この東夷征伐の折当社に立寄られ、東夷を平定する祈願をなされ、また部下の「目の病」の治らんことをお願いなされたところ、東夷を平定し、部下の目の病も治ったことから、当社を盲神と称え、手近に持っておられた十握剣を当社に献って神恩に感謝されました。この剣が天武雲剣で、現在当社の社宝となっております。
東征の後、近江伊吹山の妖賊を討伐になられましたが、病を得て薨ぜられました。日本書紀に「尊の亡骸を伊勢の能褒野に葬したところ、その陵より尊の霊が大きな白鳥となられ倭国を指して飛ばれ、倭の琴弾原、河内の舊市邑に留り、その後、天に上られた」とあり、このことから日本武尊を鳥明神と申す訳です。当社の社伝によると「尊の霊が当地に白鳥としてあらわれ給い、鳥明神として祀る」とあり、大同元年(806)社殿が造営されました。当社の社紋が鳳の紋を用いているのはこのためです。江戸図として最も古いとされる長禄の江戸図(室町時代)に当社は鳥明神と記載されております。
酉の市(八つ頭と熊手の由来)
当社の酉の市は都内でも古く、江戸時代に始まります。酉の市が毎年11月の「酉の日」に行われるのは、尊の熊襲討伐の出発日が酉の日だった為その日を祭日としました。酉の日の当日、御神前に幣帛として「八つ頭」と「熊手」を奉献します。「八つ頭」は尊が東征の時、八族の各頭目を平定された御功業を具象化したもので、「熊手」は尊が焼津で焼討ちに遭われた時、薙ぎ倒した草を当時武器であった熊手を持ってかき集めさせ、その火を防ぎ、向火をもって賊を平らげ、九死に一生を得た事を偲び奉るためのものです。ここから、古来より、「八つ頭」は人の頭に立つように出世できるという縁起と結びつき、「熊手」は家内に宝を掻き込むという意味で縁起物として広く信仰を集めました。大鳥神社の社名「おおとり」は「大取」に通ずる為、宝物を大きく取り込むという商売繁盛開運招福の神様として、多くの人たちの信仰を集めております。また、酉の市当日は、社殿において、この縁起のもとになる「開運熊手守」が授与されます。
目黒大鳥神社内御由緒より
境内には目黒稲荷神社もあります。
鳥居を撮り忘れてしましました。




大鳥神社末社
目黒稲荷神社御祭神と御神徳
倉稲魂命
福徳円満、商売繁盛、諸病平癒、農業諸産業の神素盞嗚尊
災難・疫病避けの神火産巣火神
火の幸を恵み、悪火を鎮め、諸厄諸病を祓い除く、火防開運の神水速女命
祈雨、上雨、子授け、安産、水の神
ほかにも境内には「神楽塚」という記念碑もあります。


「神楽塚」
当社の書物に「天保6年 初酉の日神楽を奏す」とあり、江戸時代の天保年間には、神楽を奉納するほど酉の市が賑わっていた事が分かる。
現在、一の酉当日には「酉の市」興隆に尽くした折原与兵衞などの功績を称え、神楽塚の前で祭典が行われ、社殿にて太々神楽「熊手の舞」が奉納される。
ほかにも、くしの為の塚「櫛塚」があります。めずらしいですね。


「くし塚」由来と参拝のご利益
日本では古来より「くし」は幸運のシンボルと考えられてきました。
日本最古の歴史書「古事記」もよると、神祖伊耶那岐命は愛する妻伊耶那美命の死を悲しみ「黄泉国(死の世界)」へ会いに行くと、なんと身体は腐って、蛆がたかっているので、「この世」へ逃げ帰ります。
暗闇の死の世界から逃げる為に髪に挿していた「竹のくし」を抜いて火をつけ、松明代わりに道を明るく照らし生還されました。又、大鳥神社の御祭神である日本武尊命は妻弟橘媛命と東国へ渡る際、浦賀水道で風波が荒くなり海神の怒りを鎮める為、妃は海に身を投げ、身代わりとなった妃の「くし」は浜に流れついて、今も祭られています。
「くし」はこのように人生の歩む道を照らし身代わりになる力を持っています。
「くし塚」に御参りをすると開運、無病息災家内安全が得られます。
特に目黒大鳥神社の御祭神は目の病、成人病、糖尿病、ボケにかからない為に、又お苦しみの方々をお救いする神様です。
多勢の方々のご参拝をお待ちいたします。平成元年九月四日「くしの日」
奉納 美容習慣実行委員会
そのほかにもこのような石造物がありました。庚申塔というものだそうです。
庚申塔(こうしんとう)って何 目黒区役所広報課


目黒区の看板も立ってました。

めぐろ風景MEGURO-55|目黒区みどりの散歩道
区内最古の大鳥神社江戸期には目黒不動、金比羅権現と並び“目黒の三社様”といわれた。天保の頃から伝わる代々神楽「剣の舞」「熊手の舞」は華麗で荘厳。毎年11月には酉の市が立つ。

大鳥神社
下目黒3−1−2
この神社には、日本武尊の東征にゆかりがあるといわれるこの地に、大同元年(806)創建された区内最古の神社です。江戸地図として古いものとされる「長禄江戸図」に書かれている古江戸9社の1つで、目黒村の総鎮守でもありました。祭神は日本武尊を主神とし国常立尊と弟橘媛命を合祀しています。
毎年11月に開かれる酉の市は、東京では古いものの1つといわれており、現在も都内では有数の賑わいをみせています。この市いわれは日本書紀に「十月己酉に日本武尊を遣わして、熊襲を撃つ」とあり、尊の出発日が酉の日であったことから、おこったと伝えられています。
毎年9月の例大祭には、目黒通りに大小30余基の町みこしが勢揃いします。それとともに社殿では「太々神楽・剣の舞」が奉納されます。11月の酉の市には、「太々神楽・熊手の舞」が神前で舞われます。
境内には、東京都の天然記念物に指定された「オオアカガシ」の老木や三猿だけの延宝塔、元禄時代(1688〜1703)や宝永年間(1704〜1710)の屋根付庚申塔など5基の石造物もあります。また、俗に切支丹燈籠といわれる「織部式燈籠」や、天保6年(1835)の酉の市に神楽を奉納した記念碑などもあります。
平成7年3月
目黒区教育委員会
この目黒区教育委員会さんの看板のふりがなの付け方が、とっても丁寧ですごく好感がわきました。
日本武尊の「やまと」のふりがなが、「日」は「や」、「本」は「まと」と、しっかり区切られてふりがなをふってあり歴史への情熱が看板一つとっても感じられますよね。この原稿を書いてくださった先生ありがとうございます!感動いたしました!
基本情報
目黒大鳥神社(めぐろおおとりじんじゃ)
| 御祭神 | 主祭神 日本武尊 相殿神 国常立尊 弟橘媛命 |
| 創建 | 大同元年(806年) |
| 住所 | 〒153-0064 東京都目黒区下目黒3-1-2 |
| 電話 | 03-3494-0543 |
| 最寄り駅 | JR山手線・東急目黒線・東京メトロ南北線・都営三田線「目黒駅」(西口) 徒歩7分 |




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